時々ファジサポblog

岡山サッカーレポーターblog改め

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2009.04.30

まだまだこれから

調子のりーと言われるでしょうが、まだ一つ勝っただけ

それも3点くらい取られても不思議でないシーンがあったし、ツイてたからと言える試合でもあった。

でも、まだまだこれから

Jの先輩達をもっと驚かせる力をファジアーノは持っているはず!
そう信じて突き進もう!!


http://www.youtube.com/watch?v=F06u6cps0qo

Ma il mio mistero è chiuso in me,
しかし私の秘密はただ胸の内にあるのみで、
il nome mio nessun saprà!
誰も私の名前を知らない!
No, no, sulla tua bocca lo dirò,
いや、そんなことにはならない、

Dilegua, o notte!
おお夜よ、去れ!
Tramontate, stelle!
星よ、沈め!
Tramontate, stelle!
星よ、沈め!
All'alba vincerò!
夜明けとともに私は勝つ!
Vincerò!
私は勝つ!
Vincerò!
私は勝つ!


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2009.04.28

負けたあとにブーイングするべきか拍手するべきか

それはあなたが判断して、あなたが実行すること

あなたの判断で、私が行動することはないし
私の判断で、あなたが行動することもない

以上


というと話が終わってしまうので以下は自分一人の考えです
別にGATE10を代表してるつもりもない

水戸戦は現場で見てないので判断をひかえます。


さかのぼって富山戦の敗戦理由を自分は3つあると考えています。


一つ目
富山戦ではビッグフラッグが掲げられませんでした。
それは雨や風のせいでなく、広げられるだけの人数がそろわなかったから

Jの、それもホームの記念すべき初勝利の日にビッグフラッグが人数が足りずに掲げられないなんてあっていいはずがない。
逆に、あそこにビッグフラッグが掲げられないかぎりファジアーノがホームで勝つこともありえない。

あそこにいた人たちはファジの勝利を心から願っていたと思いますが、岡山という街がまだ本当の意味でファジアーノに勝ってほしいとは真剣には思ってないということでしょう。


二つ目
先制点を決めたとき、我々が喜びすぎたこと。
それも勝ちが決まったかのように喜んでしまってゲームに集中できてなかったこと。
選手たちは、札幌戦での喜びすぎを反省して、ゲームを早く始めていたのに、ピッチ上のこととスタジアムの雰囲気がマッチしてなかったことが、同点を許してしまったのではないか?と考えます。


三つ目
逆転弾を入れられたとき、バックスタンドで立って応援していた人の半数近くが座り込んでしまったこと。
その日はメインにうちの母親も来ていたのですが、「逆転されてから勝敗への興味が薄れてしまった」と言ってました。お恥ずかしい。

まあ、お客さんとして来たならそれでもいいかもしれないけれど、「自分はサポーターなんだ」という自覚を持っている人がその中にいたならそれはアウト。
サポーターとは12番目の選手だという言い方がされますが、それが建前でないとするなら、同じ選手なわけです。
たとえば、逆転されて選手の一人がピッチにへたりこんでしまったら、それこそブーイングの対象でしょう。

それと同じ。


3つともピッチでのことと全然関係ないじゃないか
そう思われると思いますが、試合の勝敗を左右出来ると信じる。
少なくとも試合中の90分間はソレを大まじめで信じてる人間がサポーターという人種です。

いや、人間と呼ぶのもおこがましい、キーキー奇声を上げてるサルです。

そうしたサルの立場から考えたとき、
誰が誰に対してブーイングするべきなのか?
誰が誰に対してブーイングされるべきなのか?

自分にはよく分かりません。

ただ、三つ目の件で
もし2点目を入れられてから、スタジアム全体が勝利を求めていたなら
別にドラムに合わせて声出せとかいうのでなく
「いけー!」「がんばれー!」「なにしとんじゃ!おどりゃー!」みたいに、とにかくスタジアム全体が火を噴くように苛烈に勝利を求めていたなら勝てた試合ではなかったか。

少なくとも、見に来ていた半数以上が勝敗を傍観してた時よりいい結果が期待できていたんではないかと今も思っています。

今、目の前にある勝利を強く望まないで、一週間後の勝利を望んだところで選手たちに説得力があるとは思えません。



自分はこれが正解という応援があるとは思っていません。

地域リーグ時代に歌われていて、役目を終えたチャントがあります。
JFL時代によく歌われていて今期はあまり出番のないチャントがあります。

選手のチャントは選手とともに移り変わる。

鹿島では大旗での応援が禁止になりました。

プレミアリーグでは観客はかならず席に着席して見ないといけないらしいです。

応援のスタイルも時とともに移り変わっていく。



でも、きっと100年たっても変わらない基本があると思っています。

それはスタジアムに通い続けること。


負け続けるなら、ブーイングを続けるためにスタジアムへ

勝っても負けても拍手をするなら、拍手をするためにスタジアムへ


今ファジアーノは最下位ですが、他クラブより優位に立てているのが観客動員数です。

浦和にも新潟にも弱い時代があった
けれども、その観客数が長い目でみれば今の実力を反映するものであったと考えています。

今ファジアーノは100年続くクラブになることを目標にしていますが、それは選手の実力うんぬんとは関係なく、今見にいっている我々がそれを100年続ければ確実に達成できる。

そう、我々がそれをすれば達成できるんです。


みんな、スタジアムに行きましょう。

拍手するために
ブーイングするために
泣いたり笑ったりするために




という自分が福岡戦がヤバイのですが・・・・・その分もみなさんよろしくお願いします!
2009.04.16

勝利の価値

自分は代表で好きと言えば、日本をのぞくとアイルランド代表が好きで応援しています。
ファンになったのはこの試合

ドイツ相手に1-0だったのをロスタイムで同点に追いつくという劇的試合でした。
まあ1-0が1-1になる試合なんて掃いて捨てるほどあると思いますが、この試合はあの名GKのカーン率いるドイツ守備陣が鉄壁を誇っていて、それを維持できたからこそ決勝まで進めたというようなチームでした。
一方のアイルランドは体格的に優れていたり、サッカーセンスのあふれるようなタイプの選手もおらずその対戦する様子は巨人vs小人のような試合。

アイルランドは攻撃のパターンも決まっており、サイドに素早く進入して早いクロスを上げる
もしくはゴール前にボールを上げて競り合いにもちこむ

その攻撃は屈強なドイツ守備陣にはまったく通用せず、ことごとくはねのけられるのですが、「もうちょっと変化のある攻撃かんがえろよ」と外野が思ってしまうくらい愚直にその攻撃を全力でやり続けるのです。
岩の壁に卵を投げ続ければいつか岩の壁が崩れ落ちる
そんなことを真剣に信じているかのような迷いのないワンパターン攻撃

そして訪れたのが上のようなシーンだったわけです。



その後、司馬遼太郎が書いた愛蘭土紀行を読み、その民族気質がサッカーに現れていたのだなぁと感心させられました。

アイルランドという国は国として独立したのは第二次大戦以降。
独立国としての歴史は本当に浅い国ですが、国としての存在はローマ帝国時代までさかのぼることが出来る歴史ある国です。

こういうややこしい紹介になるのは、アイルランドという国は、独立するまでイギリスの属国として800年もの時を経た希有な国だからです。
それほど永い間組み敷かれていたにもかかわらず、イギリス国教会にも飲み込まれず、自らの言語を守りつづけ幾多の独立運動の失敗にも屈することがなかったという国。

司馬遼太郎はこう書いています。

アイルランド人は、客観的には百敗の民である。
が、主観的には不敗だとおもっている。
教科書がかれらにそう教えるのでなく、ごく自然に、しかも個々にそうおもっていて、たれが何といおうとも、自分あるいは自民族の敗北を認めることがない。




また、アイルランドの神話を調べている学者と地元の人の会話を紹介しているところでは、こんなふうに地元の人の言葉を書いています。


ねえ君、君はアイルランド気質ってものを理解していないね。われわれアイルランド人は、絶対に負けはしないんだという観念にしがみついているんだ。





上の映像は2002W杯決勝トーナメントのアイルランド×スペイン戦での一場面。
説明がないとよく分からないと思いますが、この試合はたしか0-2でスペインがリードしていたのを終盤でアイルランドが追いついた。
そして延長も終えてPK戦に入る前の準備時間の間の映像だったと思います。


つまり彼は試合結果に対してではなく、自国の選手の戦いぶりに感動して思わず涙を流している

自分は当時とてもうらやましく思いました。
いつか日本代表の試合で、その戦いぶりに感動して涙してみたいと


自分は昨日の試合でそれを体験させてもらい今とても満足しています。
たしかに相手の4点はとても美しく、サッカー好きなら賞賛せざるをえないゴールでした。

でも、90分気持ちで勝っていたのはファジアーノだ!!と断言出来る
試合後のクルピ監督の厳しい言葉は、大勝の後の戒めなのでしょうが、気持ちの上での勝負に負けていたと認めた言葉だったと勝手に解釈しています。

スポーツというものは結果で評価される
その中で才能の差でどうしても届かない世界というものがあります。
でも自分はこう思う

才能というのは親からの遺産と同じで、たまたまその人に授けられたものでしかない。
人間の本当の価値というものは、お金や才能といった先天的に偶然授けられたものでなく、
努力して後天的に獲得したものの大きさで計られるものではないのかと


これは自分の中の勝手な屁理屈かもしれません。
この屁理屈が一般に正しいと認められるか認められないかは、やはり結局のところ「結果」でしかないのかもしれません。

選手達には感謝と、日曜に向けしっかり体と傷を癒して下さいと言いたいです。
2009.04.15

ジャイアントキリング

相手は今期負け無しの優勝候補

こちらは未だ勝利無し

ファジナチオとか言われて守備を評価されるのは嬉しいが、うちに対する正確な評価ではない気がする。

舞台は整った。

今日こそファジアーノの劇場力をJのみなさんにお見せする絶好の日でしょう!

やろう!
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