時々ファジサポblog

岡山サッカーレポーターblog改め

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2009.07.16

敬愛する手塚監督へ

あの試合後のコメントについてですが
きっと半分やけくそと情けなさで言われたことだと解釈しています。
そして、サポーターに対してではなく選手たちに対して「オマエらこれでいいのか?」言いたいがための発言だったのだろうと。

でも、厳しい言葉を期待されている気持ちもあるのだろうとも思い、あえて厳しい言葉を使ってみたいと思います

たとえば、
「うちのうどんがまずいのは、お客さんが「まずい」って言ってくれないからですよ」

といううどん屋さんがいたとしたら「君は商売変えたほうがいい」って自分は言うでしょう



おいしいうどんを作るため、日夜努力はしてますが、素材にかけられるお金も限られ、また人の塩味や甘味の感じ方も千差万別。
試行錯誤と人のさまざまな意見を参考にはしますが、最終的に味を決めるのは自分の味覚を信じるしかないし、自分が食べたくないものは出したくない。

自分の味覚を信じられないなら、この商売はやってられません。


今の現状が起こっているのは、結局ゴールを決めるべき人が、ゴールを決められず
ゴールを守るべき人がゴールを守れないからでしょう

それぞれのポジションがその役割を十分に果たせてないからであって
その上、指揮官が「選手を鼓舞したり叱り上げたりする役割」を放棄して成り立つはずがない


サポーターは応援することが役割だと思ってます。


まあ、最近のサッカーはFWが守備を求められ、DFがシュートを求められたり複数の役割をこなすことが求められるわけですから、サポーターも指揮官になったり経営者になったりすることを求められたりするのかもしれません。

でも、それはあくまでFWはFWとしての、DFはDFとしての、
そしてサポーターはサポーターとしての役割を100%こなせた上で+αで求められるものでしょう。

DFがFWに「もっと前から守備しないからダメなんだろ!」とか
FWがDFに「もっと攻撃参加してこないから点が入らないんだよ!」
とか自分のことを棚に上げて言い合ってたらそのチームは終わってる

そして、選手やサポーターが戦術や選手起用を真剣に考え主張しないといけない状態になってしまってもチームとして終わってるでしょう。

DFがゴール前の競り合いに負けてたら、そりゃ点とられるよ
FWやMFがゴール前に有利に侵入出来てるのに、仲間のフォローばっか探してたら、そりゃ点ははいらんよ
サポーターが試合途中で声を止めたら、そりゃ選手は走れんよ


岐阜戦からの悪かった数試合や、熊本、徳島、鳥栖戦を見て思ってることがあります
内容が悪い悪いといいながら、あと45分あれば追いつけるんじゃないか?って試合がほとんどだということ。
90分の試合と考えず、45分を3本やれるなら互角以上の勝負が出来るんではないか?と

最悪と言われるこないだの鳥栖戦でも10人になってからのほうが動きがよかったんでないでしょうか?


つまり、やれるんだよ!出来るんだよ!

はじめから、3点ビハインドの状態だと思ってやれば動けるはずなんだよ
そう考えて取り組んで初めて勝負になるつもりでいないと。

で、サポーターに対してもそう。
鳥栖戦のアレアレオーの声にはちょっと鳥肌が立った。
あの蒸し暑い中の試合の終盤はサポにとってもキツイ時間だけど、ここまで声が出せるぐらい成長したんだなぁと。


でも、それ試合開始から出せないの?



岐阜戦のとき、スカパーのピッチレポーターが
「ファジサポの声が点を取られるたび大きくなってます」
って言われたとき誇らしかった

でも今から思うと、小さくなっていくよりマシだけど、点取られる前は出せる声を出してなかったってことでもあるとも考えられる。


ファジアーノが悪いとき前半で2点3点取られてしまうのは、サポの前半の応援がぬるいからなんじゃないでしょうか?

それは試合後ブーイングしないからぬるいとか言うより遙かに深刻な問題だろうと思います


選手もサポーターも、試合前から3点すでに失ってるつもりで90分戦おうじゃないですか
そうすれば、きっと勝てる!!勝てるよ!!

いっしょにがんばろう!!


最終的にはそれしか言えないわけですよ


きつい言葉も使いましたが、今もまあ試合後ということで
これを試合後のブーイングに代えさせて頂きたく思います。



注記:
声だしが応援のすべてだと考えてはいません。
たとえば、前の試合で後半に選手たちが出てきた時、観客が一人もいなくなっていたら?
推奨はしないですが、そういういっさい声を出さずとも伝えられる方法はある。
それは一般的ではないが方法の一つです。
ようは、よそがどんなことをやっているとか気にしなくていいんです。
よそはよそ、うちはうち。

そして、周りがブーイングしてるから、してないからで判断する必要もない。
他人は他人、自分は自分。

サッカーは野球のようなサインプレーはほとんど出来ない。
ピッチ上でどういうプレイをするかは、個人個人が責任を持って独立した判断で行動しなければならない。
それが有機的に結びついたとき、美しいプレイになるわけですが、あくまでそれは独立した判断で出来なければならない。

ブーイングするしないは、監督や新聞記者のいいなりで決めることでなく、それぞれの人が強い意志を持って判断するべきことだと思います。

それぞれの人がファジアーノという存在にどのように向き合っていくのか
それを真剣に考えた上であれば、その結論が自分と違っていようとも、それを尊重していきたいな、と自分は考えています。


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